時間 最終章

時間 最終章

富士山を登りに行こうと思った理由は、日本一高い山の頂上まで登って、頂上まで行く過程の大変さ、頂上から見える景色を見て、何かを感じ、オリンピック代表、世界一なるために必要なものを探しに行った。もちろん、膝のリハビリも兼ねて。

この予定も急遽決めたため、一緒に行く人もいないということで、両親に電話をした。『一緒に富士山登りに行く人もいないから付いて来てくれへんかな?』と両親に行ったところ、快く二つ返事で了承をしてくれた。両親としては、正直、運動もしていないのに行きたくなかったと思う。 その後、すぐに準備をして、数日後に出発した。そして、富士山に夜の8時ごろに到着し、両親と合流して、すぐに登り始めた。始めは、なかなか両親とも会えていなかったので、楽しく会話をしながら登っていたが次第に急勾配になり、膝にも負担がかかり、術後2ヶ月半で富士山に登るのはキツいかなと思った。でも、諦めようとはしなかった。登っている途中にこんなことをずっと頭を駆け巡っていた。なぜ怪我をしたのかな?なぜ怪我をする前に、その日は危ないことをしないという、諦める勇気を持てなかったのかなど色々、頭を駆け巡った。全力や、限界に挑戦することは大切なことだが、時と場合によっては、挑戦しない勇気も必要だとその時に感じた。(自分の力量を知ることも大事)その後、なんとか日の出に間に合う時間に頂上に到着し、頂上で頭がボーッとする中、座っていた。そして、日の出が見え、ボーッと見ていた時、今という時間は一生戻ってこない。怪我したことは仕方ない。だから、自分が結果を残せるためにやるべきことは、結果を出して自分を支えてくれてる人たちに恩返しをしたいと思った。そして、支えてくださった方に、あいつに時間を割いて無駄だったと思わせない時間にしないといけないと思った。そして、この時に思ったことが、その時が8月で、代表選考会が次の年の4月だった。私のその時の状況では、1週間の計画、1ヶ月後の計画、3ヶ月の計画を明確にしないといけないと思った。これを3回乗り越えれば、良い結果が近づくと感じた。11月、怪我後初めての大会に平行棒、鉄棒のみ出場した。その時は、正直、着地に恐怖を覚えていたことを覚えています。失敗もありましたが、なんとか演技をすることが出来た。そして、自分なりの目処がたったなと思いました。それから正月返上で1月1日から体育館に行って、トレーニングをしていたことを思い出します。3月にアメリカの大会に行き、個人総合で3位まで戻ってくることができた。この時、あとはやるだけだと思った。全日本選手権大会、NHK杯が2日あり、最終選考のNHK杯個人総合の11位までに入り、この4日間の中で鉄棒を2回1位を取らないといけない状況だった。結果として個人総合で11位、鉄棒で2回1位を取ることが出来たが、他の選手と同点になり、私の方が結果として劣っていたため、正選手にはなれなかった。試合後には自然と涙が溢れた。でも、なんだか清々しかった。その時、競技をしていて初めて感じたことが、これが達成感か。と思った。また、試合の後すぐに、走馬灯のようにこの一年間を振り返り、色々な人に助けてもらったのに、オリンピック代表選手になれなくれ申し訳ないと思った。そして家族、ドクター、トレーナーの所に、お礼を言いに行ったのと、謝りに行ったことを覚えている。悔しさはあったが、後悔はなかった。

 

これらを通して時間の大切さをすごく学びました。第一章でも伝えましましたが、どんなに努力をしても『こうしておけばよかった。もっとうまくできたな』というこがあって当たり前だと思います。これは自分に気づきを与える時間だと思います。でも、一生懸命、自分の出来る精一杯のことをしていれば、その時間の記憶は自分自身鮮明に覚えています。そこに関わってくれた人の記憶にも残ります。でも、一生懸命やったつもりの時もあると思います。その時は、時間だけが過ぎ、記憶に残っている日が自分が出来る最大の努力をした時に比べると圧倒的に少ないはずです。記憶に残る日数を増やせば、何かで壁にぶつかった時、自然に今まであった出来事を振り返り、今自分に足りないことを思い出すのではないでしょうか。僕は常にこのような方法で、一歩、一歩前に歩みを進めようと心がけています。

 

時間  終わり